「愛の告白 → 付き合う → セックスする」

…それが、昔の俺の恋の順序だった。
多くの未熟な男女がこの順番で恋人との関係を築いていくように、当時の俺も、これ以外の「恋の順序」でターゲットの女性との関係を深める方法を知らなかった。

しかし今、俺の恋は、全く逆の順序で始まっていく。

つまり、

「セックスする → 付き合う → 愛の告白」である。

数年間かけて培った経験を得て、あるとき、俺は気がついた。

まずは前者:「愛の告白 → 付き合う → セックスする」という順番は、実はスゴく不自然なことだったんだ。
そして、順序で女性に挑むと、失敗する確立のほうが高い。

対して後者:「セックスする → 付き合う → 愛の告白」という順番は、実は最も自然な「恋の順序」だった。
そして、順序で女性に挑むと、成功する確立のほうが高い。

これはどういうことだろう?

結論を先に言えば、「愛の告白 → 付き合う → セックスする」なんていう面倒なプロセスは吹っ飛ばして、初めからセックス狙っていったほうが、より短時間で、より簡単に彼女の中に入っていける。…精神的にも。肉体的にも。

女性との関係を築くにあたり、俺たち男性の心を占める最大の関心ごとは『セックス』だ。それ以外には無い。
そうだろ?
その大きな原動力を、「愛の告白」に使うのではなく、はじめから「セックスする」ことに使うのだ。

それに、『愛の告白』に失敗し、彼女にフラれてしまうと、その後再びチャンスが巡ってくる保証は無いが、『セックスの誘惑』のほうには、そもそも失敗という概念が存在しない。
女性をベッドに誘う際、彼女が俺たちの提案を拒否するのは、単なる通過儀礼に過ぎないからだ。
一度断られたとしても、またすぐに誘えばいい。
たった一度だけでも肉体関係を築いてしまえば、彼女の心は大きくあなたに傾くことになる。

それに、セックス以前の『愛の告白』なんて、所詮は薄っぺらで上っ面だけの軽い言葉。
『セックスしたい』という素直な欲望を、『好意』や『愛情』だと勘違いしているだけ。あるいは、そういった綺麗な言葉で飾っているだけかもしれない。
いずれにしても、そもそも俺たちは、セックスもしたことが無い女性を好きかどうかを判断する術を持ち合わせていない。

セックスする前の『好き』という気持ちは、=『ヤリたい』という気持ち。

俺たち男性は、魅力的な女性に出逢うと条件反射的にセックスしたくなる。
これは『性欲のレンズ』を通して女性を観ているからだ。
『性欲のレンズ』を外すためにはセックスするしかない。
しかもこの『性欲レンズ』というものは、自慰行為や他の女性の力によってでは外すことができない。
その女性に対して装着している性欲のレンズは、その女性とのセックスでしか外すことができないのだ。

俺たち男性は、セックスするまでは『ヤリたい!』という強烈な欲求に突き動かされ、「性欲のレンズ」によって目が眩み、自分の感情にさえも鈍感になっているため、「ただヤリたいだけ」なのか「本当に彼女が好き」なのか、自分自身でもよくわかっていないのだ。

セックスをすると、その強烈な欲望から解放され、性欲のレンズが外れる。そうすると彼女に対する自分の感情に敏感になり、「ただヤリたかっただけ」だったのか「本当に彼女が好き」だったのか気付く。

そして、今後も彼女と一緒にいたいか、一夜限りの恋で終わらせたいか、判断するための材料が出揃う。

彼女との相性がわかるのもこのときで、2人の相性が良いと判断できれば、より頻繁に、より長く一緒にいるようになる。
2人の交際が始まり、付き合うようになる。相手をより深く知るようになり、そこではじめて本物の好意と愛情が芽生える。

…女性にとっては迷惑な話だと思うだろうか?

そう思うなら、それは浅はかだ。

女性の立場からしてみても、『セックスの相性』は極めて重要な要素。
「そんなことはない」と言う女性がいたとしたら、彼女は恋愛体験が未熟でまだ開発されていないか、単なる処女の戯言だ。
『セックス』が最大の関心ごとであるというのは、俺たち男性陣だけでなく、女性たちも同じだったんだ。
感受性豊かな女性なら、男性の性格や内面的な資質を見抜き、それらを考慮して2人の表面的な相性を予想することができると考える。
しかし、セックスすること無しに、本当に理解し合える日は永遠に来ない。

セックス無しには、男女の愛は存在しない。

だからとにかく、気になる女性がいたら、最初からセックスを狙って行け。
その女性と一線を越え、肉体関係を築くこと。

彼女に愛を告白するのはそれからだ。