これは、七夕の日の出来事。

2008年7月7日。朝9:00時。
ある一人のガールフレンドが俺の部屋に来た。
シャワーを浴び、眠気を飛ばしたばかりの俺には、彼女の爽やかな笑顔が眩しく、とても魅力的に見えた。
一時間後には、俺たちはベッドの上で抱き合っていた。

正午になると近所のイタリアンレストランへ出掛けた。
昼食を済ませた俺たちは軽く散歩をし、途中、スターバックスでソイラテとキャラメルマッキアートをテイクアウトし、再び俺の部屋へ。
戻ってきたのが14:30頃。
部屋に入り、二人きりになった俺たちはまたすぐに愛し合った。

その日、二回目を終えても、俺は昂(たかぶ)ったままだった。

彼女のほうも高まったまま。
俺たちはまたすぐに愛し合った。…三回目だ。

ベッドの中で暫しの休息。さすがに二人とも疲れ果て、浅い眠りの中に堕ちていったが、約30分後、携帯のアラームで目を覚ました。
自分でも驚いたが、俺は、ふたたび漲(みなぎ)りはじめていた。

俺の身体は「もっと! もっと!」と彼女を求めた。

精神と肉体は常にリンクしているものだから、心の奥底で囁いていた声も同じようなものだろう。

男性は自分の感情にさえ鈍感な故、身体の欲求に忠実に従ったほうが良い結果を生む場合が多い。
今こそ、その瞬間だと思った。身体の欲求に素直に応えるべきだと思った。

2時間後、俺たちは四回目の絶頂を迎えていた。
(一回のセックスで数回のクライマックスを迎える彼女のほうは、もう数えるのが困難なほどだっただろう)

その日、彼女と過ごした約8時間のうち、4時間以上、俺は彼女の中にいた。
回数でいうと4回。

彼女は「私たち、SEXの気持ちよさを知ったばかりの高校生みたいね」と笑った。

確かに、そうなのかもしれない。30歳を目前にして、俺は衰えるどころか、さらにみなぎる力を感じている。まだまだ先のように感じるが、今この瞬間にこそ、ピークを迎えているのだろうか?

俺の精力は衰えを知ることが無く、今後もこのテンションを維持していけそうだ。

セックスの回数を重ねるたびにエネルギーが満ちていく感覚。
セックスを覚えたばかりの頃のような、終わった後の喪失感は無い。

女性より先に果てることは皆無だし、精神的にも肉体的にも余裕が出てきた。パートナーの女性には、一度や二度だけでなく、数えきれないほどのオーガズムを与えることができるようになった。彼女が求めるだけ、何度でも。

18:00時前に帰宅した彼女から、22:00時に電話があった。
「今日は疲れたからもうすぐに寝る」とのことだった。

一方、俺はどうだ?
確かに、途中、猛烈な睡魔に襲われはした。しかし、30分程度の軽い仮眠だけで、いまは既に回復し、また再び漲りを感じている。

俺は変になってしまったのだろうか?
それとも、もともと変なのだろうか?

ベガとアルタイルは、年に一度、7月7日にだけ逢うことを許される。

その日は、愛し合う二人の願いが聞き届けられる日だ。

数年前の俺は、他のごく一般的な男性の例に漏れず、「数えきれないほどのセックス」に思いを馳せ、それを望み、願っていた。

どうやら俺の願いは聞き届けられているようだ。